東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)258号 判決 1972年2月29日
原告 株式会社高桑米吉商店
被告 東京都
主文
原告の主位的請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の申立て
(原告)
一 主位的申立て
「被告は原告に対し五、六六九万七、三九一円およびこれに対する昭和三八年八月三一日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求める。
二 予備的申立て
右主位的申立てが不適法なときは、「被告が起業者として施行する東京都市計画街路幹線街路放射街路第四号線築造事業による原告所有の別紙物件目録記載の各土地(以下本件土地という。)の収用ならびに地上物件の移転その他による損失の補償に関し、昭和三八年八月一五日東京都収用委員会がなした損失補償額五、五五九万五、五九〇円との裁決を一億一、二二九万二、九八一円と変更する。被告は原告に対し五、六六九万七、三九一円およびこれに対する昭和三八年八月三一日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。
(被告)
一 本案前の申立て
「原告の訴えをいずれも却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。
二 本案についての申立て
主文同旨の判決を求める。
第二原告の主張
一 原告は、昭和二一年四月二三日ごろ本件土地を買い受け、同二二年ごろ、同土地上に木造スレート葺二階建店舗一棟一〇四・一三平方メートル(三一坪五合)二階一〇四・一三平方メートル(三一坪五合)および木造スレート葺平家建店舗一棟六六・一一平方メートル(二〇坪)の各建物を建築しようと計画し、東京都知事に対してその建築許可を申請したが、本件土地は、右申請の当時すでに昭和二一年三月二六日戦災復興院告示第三号による東京都都市計画の街路予定地として建築制限を受けていたため、建築許可を得ることができなかつた。そこで、原告は、やむをえず東京都建築指導部等の関係官庁の指導、指示に従い、歩道敷から九メートル後退した線の本件土地外の土地に右建物を建築した(なお、原告は、昭和三六年ごろ右建物を取りこわし、その跡に後記鉄筋コンクリート造六階建併用住宅を建設した。)。そして、それ以後本件土地は、後記の収用がなされた昭和三八年八月三一日にいたるまでの間継続して建築等の制限を受けており、原告はこれを更地にしておかざるをえなかつたのである。
東京都の都市計画と建築制限との関係は、別紙(一)記載のとおりである。
二 ところが、昭和三六年一月一三日建設省告示第二六号により東京都市計画街路幹線街路放射街路第四号線築造事業について都市計画事業決定の告示があり、翌三七年六月一二日特定公共事業認定の告示がなされ、次いで同年七月三一日本件土地に対する土地細目の公告が行なわれた。
三 一方、起業者たる被告と土地所有者たる原告ならびにその他の関係人との間に昭和三六年七月以降土地についての権利の取得に関し種々折衝協議が行なわれたが、とくに損失補償の額につき円満な解決にいたらず、本件は東京都収用委員会の解決に委ねられ、同委員会は審理のうえ昭和三八年八月一五日本件収用について次のような裁決(昭和三八年第四号)をなし、該裁決書正本は翌一六日原告に送達された。
四 右東京都収用委員会の裁決の内容は次のとおりである。
(一) 収用する土地 本件土地
(二) 損失の補償 総額五、五五九万五、五九〇円
その内訳
1 土地補償 四、九四六万九〇円
本件土地合計三八九・六八平方メートル(一一七坪八合八勺)の補償額であり、三・三〇平方メートル(一坪)当りの補償額は四一万九、五八〇円である。
2 建物移転補償 五万四、四八二円
本件土地の東北側隣接地上所在の原告所有の鉄筋コンクリート造六階建併用住宅(以下併用住宅という。)の袖壁部分が収用地に幅〇・二一五メートル、高さ一七・一メートル、厚さ〇・〇六メートル突出していたので、これを削り取るための移転補償額である。
3 工作物等移転補償 一〇八万一、八九四円
本件土地上に存在した別紙工作物目録記載の工作物の移転補償である。
4 移転雑費 四万二、七〇一円
5 併用建物改修工事補償 三八万二、六七一円
本件道路工事設計によると、原告所有の隣接残地の地盤面が新設歩道面よりも〇・二六六メートルないし〇・五八メートル程度高くなり、従来の利用度を著しく阻害するので、併用住宅建物の出入口を新設歩道の高さに合わせるための改造および同建物の外壁化粧直し等に要する工事費用の補償である。
6 給油取扱所改修工事費 三五〇万八、七五二円
本件土地の隣接地上所在の原告所有のガソリンスタンドの全面改装工事等の補償である。
7 給油取扱所賃貸料補償 一〇六万五、〇〇〇円
前記ガソリンスタンドは原告が訴外広和興産株式会社(以下広和興産という。)に賃貸していたものであるが、右工事により同スタンドの使用収益が相当期間不可能になり、賃貸人である原告がその間賃料収入の途を失うため、これに対する賃貸料三か月の補償である。
(三) 収用の時期 昭和三八年八月三一日
五 原告は右裁決にはなはだ不服であつたが、昭和三八年八月二八日右の裁決による補償金五、五五九万五、五九〇円を一応受領した。しかしながら、右裁決は、次の各点において不当である。
(一) 建築制限による損失の補償について
1 訴外亡高桑米吉は、明治三〇年ごろから寝具小売商を営んでいたものであるところ、昭和二〇年原告会社が設立されて同人の営業を引き継ぎ、昭和二二年に前記のように本件土地上に建物を建築しようとしたが、本件土地はすでに建築制限を受けていたため、やむなく歩道敷から九メートル後退した本件土地外の土地上に右建物を建築せざるをえなかつたのである。
しかるに、前記東京都の都市計画はその後長らく実施されることなく、実に昭和三六年にいたつてはじめて実施に着手されたのであり、その結果、原告は昭和二三年一月一日以降本件収用の時期である昭和三八年八月三一日まで一五年八か月の長期間この建築制限の規制に従い、青山の一等地である本件土地を更地にしておかざるをえず、原告の本件土地に対する権利の行使は著しい制限を受けたのである。しかるに、本件土地の近隣地は本件土地と同様に建築制限の規制を受けていたにもかかわらず、無許可の建物または収用の際は無条件、無補償で収去、立退くことを条件として建築を許可された建物が建てられていたのであるが、被告はこれらの建物についてすべて移転補償をしたのである。この措置自体の是非は別としても、原告のように建築制限を長期間にわたつて受忍し、法令を遵守していた者は、法を守らず、また法をくぐつて既成事実を作り上げたものに比較して実に多くの損失をこうむつたのであり、まさに正直者が損をみたという結果を生じていることは明白である。のみならず、原告は、前記のように当初寝具等の小売を業とし、相当の地盤を有していたものであるが、青山の大通りに直接面している本件土地上に店舗等の施設を設けることができず、小売商として営業上著しい打撃を受け、ついにこれを廃業し、寝具、衣類等の卸および製造業に転向したが、この仕事も必らずしも順調に行かないため、これらの仕事とともに、住宅金融公庫の融資を受けて本件土地の隣接地に前記の併用住宅を建設してその大部分をアパートとして賃貸し、その賃料等の収入により、その企業を維持している状況なのである。
このように原告が一五年八か月の間本件土地を使用収益できなかつたことによつてこうむつた損害は、別紙(二)記載のとおり合計一、二九六万五、五八六円に達するので、被告はその補償をすべきである。
2 右補償をすべき法律上の根拠について
憲法第二九条第三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と定めているが、これは公共の福祉のために私有財産絶対主義を修正ないし制約しながらも、私有財産を公共の福祉のために収用または使用する場合には正当な補償すなわち完全かつ合理的な補償をなすべき旨を規定したものであり、土地収用法の補償規定も憲法の右規定を受けて定立されたものである。ところで、都市計画法に基づく収用は、建築等の制限にはじまり、都市計画事業決定の告示、土地細目の公告、収用地への立入調査、損失補償に関する協議、収用委員会の審理、裁決という手続を経てなされるものであつて、収用は、一個の単一な行政処分ではなく、収用処分を目指しまたはそれと密接な関連を有する右のようないくつかの行政処分ないし措置の複合した一連の継続的な手続過程であり、このため通常相当な期間を要する。そして、この間収用予定地はほとんど例外なく建築制限の下におかれる。この建築制限は都市計画を円滑に実施するためになされるものであるが、他方、私権に制約を加え、私人に多大の損失を与えるものであり、その損失の発生は通常必らず予想しうるところである。したがつて、この手続過程において被収用者に与えた損失は収用に因つて生じた損失(土地収用法第六八条)または収用に因つて通常受ける損失(同法第八八条)であるというべきである。なお、被告は、文化財保護法第四五条をあげて、このような明文の規定がない以上建築制限等による損失は補償されないというが、同法は、私人の所有権がいわば永久的に制約を受けることになるため、直接その制約に対する補償につき特に確認的に規定したものであるのに対し、土地の収用に伴う建築制限は収用を目的とした一時的な制約であり、収用される際に建築制限による損失を含めて収用によつて生ずる一切の損失を補償すれば足り、建築制限による損失の補償についてのみ特に独立の補償規定を設ける必要がなく、他の補償と一括して土地収用法第六八条または第八八条を根拠として補償されることになるのである。以上のところから明らかなように、本件の都市計画法による収用は、憲法第二九条第三項に定められている公用収用の問題なのであつて、同条第二項にいう公用制限の場合の問題ではないのである。
仮に、都市計画のための建築等の制限により生じた損失が一般的原則的には補償の対象とならないものであるとしても、本件の場合には前記五(一)1で述べたような特段の事情があるから、この損失の補償をしなければ「正当な補償」ないし「合理的な補償」といえないものである。
仮に、土地収用法第六八条または第八八条が建築制限による損失の補償をなすについての根拠規定となりえないとしても(この場合には法律の欠缺というべきであつて、そのこと自体憲法第二九条第三項に違反する。)、憲法第二九条第三項自体を直接の根拠規定として、原告には損失補償請求権がある。
(二) 工作物移転補償について
1 この点に関する収用委員会の裁決は、被告の申立額をそのまま認容したものであるが、それによると、工作物等移転補償額は、前記のとおり別紙工作物目録記載の工作物に対して一〇八万一、八九四円である。
一方、本件収用の関係人の一人である前記広和興産は、収用土地上の柱二本(三菱サインポール二本)に対し工作物移転補償として一万〇、九九二円、移転雑費として一万〇、三二九円、合計二万一、三二一円の補償を受け、さらに右移転補償についての特別措置として七六万三、九二〇円、総計七八万五、二四一円の補償を受けている。この特別措置による補償額は右移転補償額と移転雑費との合計額二万一、三二一円の約三五・八倍に当るのであり、その他近隣土地の工作物についてもすべて特別措置による補償がなされている。
これに反し、原告の特別措置による補償は零であつて、原告のみが著しい不平等な取扱いを受けているのである。そして、この特別措置について原告と広和興産とを差別する理由はないのであるから、原告は、右工作物等移転補償額一〇八万一、八九四円のほかに、広和興産の場合に準じてこれを三五・八倍した三、八七三万一、八〇五円の補償を請求する権利がある。
2 もつとも、被告は、原告が本件ガソリンスタンド前の収用土地(別紙第一図面の青線より下の部分の土地)につき「使用者」(占有者)たるの要件を欠いていたので特別措置による補償をしなかつたものであると主張する。
しかし、右ガソリンスタンド前の収用土地は、被告主張のように広和興産が原告から賃借または使用借したものではなく、広和興産が原告から借りていたものはガソリンスタンドのみである。そして、ガソリンスタンド前面の土地のうち本件収用土地を除いた残余の土地についてのみ、広和興産は建物(ガソリンスタンド)賃貸借に伴う建物の敷地として占有していたにすぎない。ガソリンスタンド前面の土地のうち本件収用地は原告がこれを所有し、かつ営業の用に使用し占有していたものであり、原告以外の何者もこれを占有する権原を有せず、かつ占有していなかつたものである。本件ガソリンスタンド前の収用土地には、原告により別紙工作物目録中※印を付した物件の設備がなされ、右土地は、(一)右ガソリンスタンドに出入りする自動車通路、(二)原告所有の賃貸建物等に必要なガス、水道、電気、下水等施設の設置場所、(三)右建物(ガソリンスタンド)に必要な補助施設(照明施設、ブロツク均等)の設置場所(ただし、この場所は前記のとおり広和興産に貸していない。)等の目的に使用され(なお右工作物はすべて広和興産への賃貸物件の中には含まれていない。)、したがつて、右土地は原告において現実に占有使用していたのである。要するに、本件ガソリンスタンド前の収用土地および右各工作物はすべて原告の広和興産への賃貸物件の中に含まれていないのであるから、右の土地について広和興産はなんら占有権限を有していなかつたのである。ただし、広和興産は、右土地上の工作物のうち広告柱、照明施設、ガソリン計量器等を現実に使用したり、ガソリンスタンドに出入りする車を駐車または停車させることにより、右土地を現実に使用していたことは事実であるが、広和興産には右土地の占有権限がないのであるから、右土地をガソリンスタンドの一部であるとし、または右土地を賃貸借物件である店舗と同視しうるものではない。
むしろ原告は、本件収用に協力するため、わざわざ本件土地を広和興産の建物賃借に伴う敷地使用権の範囲から除外しておいたのである。そして原告は、前記賃貸アパートおよびガソリンスタンド建物の後方にある原告営業部および工場として使用していた建物に必要なガス、水道、電気、下水等施設の設置場所として、現実に右の土地を占有使用していたものである。
以上の意味において、原告は右土地をガソリンスタンド賃貸、賃貸住宅、寝具衣類の製造販売業の営業用土地として占有使用していたものというべきである。
さらに、原告において特別措置以外の補償のみでは、右土地のような営業用土地を確保することが困難であることは、被告の主張する広和興産や訴外水田松蔵の場合と同様であつて、そこになんらの差異はなく、この点に関する要件については、原告の近隣類地のすべての被収用者に対して特別措置がなされていることからみても厳格に解されるべきではない。したがつて、原告は特別措置による補償を受ける要件をすべてみたしているというべきである。
(三) 仮設建物移転補償について
1 原告は、昭和三五年三月ごろ、本件土地の隣接地に前記併用住宅を新築するため、昭和二二年ごろ建築した前記一挙示の建物を取りこわし、併用住宅完成までの間臨時使用の目的で、仮営業所として本件土地上に、
(1) 木造スレート葺平家建建物一棟四九・〇二平方メートル(一四坪八合三勺)
(2) 木造トタン葺二階建建物一棟五九・五〇平方メートル(一八坪)二階五九・五〇平方メートル(一八坪)
(3) 同建物五二・八九平方メートル(一六坪)二階五二・八九平方メートル(一六坪)
の三棟の仮設建物を建築した。
2 東京都係官小坂実は、昭和三六年六月六日ごろ原告の社員千葉原菊雄立会のうえ、本件収用物件の調査のため本件土地に立入検査をして右仮設建物三棟の存在を確認するとともに、その測量、写真撮影等の調査を完了した。
そこで、原告は、補償額査定に必要な当局の調査が完了したこと、その後併用住宅が完成し右各仮設建物が不必要になつたことなどの理由から、収用裁決のある前である昭和三六年七月三〇日ごろ右各建物を取りこわし撤去したところ、右小坂係官は同年九月七日ごろ、右千葉原に対し右各建物を移転する補償額は五〇〇万円である旨を確認してその申入れをし、右千葉原は同日原告代表者高桑寅雄にこのことを報告し、その承諾をえて右同日右小坂係官に対しその申入れを承諾する旨の意思表示をしたものである。かくて原告と被告との間において、本件各仮設建物の移転補償額について旧土地収用法(昭和四二年法第七四号による改正前のもの)第四〇条所定の協議が成立したのであり、それにより原告は被告に対し右五〇〇万円の損失補償請求権を得たものである(なお、同法第四〇条によれば、協議は土地細目の公告があつた後に行なうべきものとされているが、公告前の協議もその効果において公告後の協議と異ならないものというべきである。)。
3 しかるに、その後被告は右確認をくつがえし、本件仮設建物は収用の時期に存在する建物でなく補償の対象としないと主張し、収用委員会も右各建物の移転補償を認めなかつたものである。しかし、被告が収用手続の過程において係官が確約したことを当該建物が収用の時期に存在しなかつたことを理由にくつがえすことは全くの背信的な行為であり、許すべからざる形式主義であるといわざるをえず、収用委員会がこの点について原告の主張を認めなかつたこと(しかもなんらの理由も付さずに)もまた違法である。
加えるに、旧土地収用法第七一条は補償額算定の時期を収用裁決の時としているのみで、補償の対象物をこの時に存在するものに限定しているのではない。さらに、同法第七七条は、「収用………する土地に物件があるときは、その物件の移転料を補償」すべき旨規定しているが、本件のように起業者の係官が対象物件を確認し、それについて立入検査、写真撮影、測量等の補償額査定に必要な調査をなし、該物件を補償の対象とする旨確約した場合には、まさに右条文にいう「収用……する土地に物件があるとき」に該当するものと解すべきであつて、裁決はこの点においても違法であるというべきである。
六 よつて、原告は起業者たる被告に対し、主たる請求として、建築制限による損失補償金一、二九六万五、五八六円、工作物移転補償金三、八七三万一、八〇五円、仮設建物移転補償金五〇〇万円、以上合計五、六六九万七、三九一円ならびにこれに対する収用の時期である昭和三八年八月三一日から右支払いずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるが、もし右のように収用裁決中の補償額の変更を求めることなく直接差額の給付を請求することが法律上許されないときは、前記予備的申立て記載のとおり本件収用裁決の補償額を増額変更することと合わせて、右同様の金員の給付を請求する。
第三被告の主張
(本案前の主張)
一 本件収用は、東京都知事が旧都市計画法(昭和四三年法律第一〇〇号により廃止されたもの)に基づく都市計画事業のために行なつたものであるが、同法第五条第一項によれば、「都市計画及都市計画事業ハ政令ノ定ムル所ニ依リ行政庁之ヲ行フ」と規定され、また、同法第一八条によると、都市計画事業としての土地等の収用もしくは使用に関しては原則として土地収用法が適用されることとなつている。そして、土地収用法の定めるところによると、収用委員会の裁決のうち損失補償に関する訴えは起業者を被告としなければならないものであり(第一三三条第二項)、右にいう起業者とは、土地等を収用もしくは使用することを必要とする事業を行なう者をいうとされている(第八条第一項)。
そうすると、本件においては、前記のとおり都市計画事業として本件収用が行なわれたものであつて、行政庁たる国の機関としての東京都知事が右事業の施行者であるから、本件収用における起業者にあたる者は同知事であると解すべきである。
したがつて、本件訴えの正当な被告は東京都知事でなければならず、行政主体たる東京都を被告とした本訴は不適法である。
二 土地収用法上の法律関係は、国家権力の行使による公用徴収としての公法上の権利義務関係であり、その損失補償も右権利義務関係の一部として同様な性質を有するのであるから、損失補償に関する訴訟は、土地収用法第一三三条第二項において当事者訴訟の形式をとることとしているにもかかわらず、その実質は収用委員会の裁決に対する抗告訴訟とみるべきである。
したがつて、損失補償に関する本件においては、東京都収用委員会の裁決を訴訟の対象として補償額の変更を求めるべきであり、その変更を求めることなくただちに差額の給付を請求する原告の本件主位的申立ては不適法であつて却下されるべきである。
(本案に対する答弁と主張)
一(一) 原告の主張一ないし四の各事実を認める(ただし、被告が本件都市計画事業の起業者であるとの点を除く。)。
(二) 同五の(一)の主張事実中、本件土地が建築制限を受けていたこと、被告が本件土地の近隣の収用地上の建物に対し移転補償をしたこと、原告が本件土地の隣地に併用住宅を建設し、その大部分をアパートとして賃貸していることは認めるが、その余の事実は不知、主張の趣旨は争う。
同五の(二)の主張事実中、原告に対しその主張のとおりの工作物移転補償を支払つたが、特別措置による補償は零であつたこと、広和興産に対しては移転補償、移転雑費のほか原告主張の額の特別措置による補償を支払つたこと、原告所有の工作物が広和興産の工作物と同じ土地上に存在したことは認めるが、原告が右工作物をその営業用に供していたことは否認し、その余の事実および主張の趣旨は争う。
同五の(三)の1の主張事実中、本件土地上に三棟の仮設建物が存在していたことは認めるが、その余の事実は不知、同2の事実中、東京都係官小坂実が昭和三六年九月七日ごろ、原告社員千葉原菊男に対し、右仮設建物の移転補償願が五〇〇万円相当である旨確認したことおよび同建物移転補償についての協議が成立したことは否認し、その余の事実は認める。右2および同3の主張の趣旨は争う。
二(一) 建築制限による損失の補償について
1 本件都市計画道路は、昭和二一年三月二日戦災復興院告示第三号により東京都市計画として決定したが、本件各土地を含む計画区域内の建築制限については、戦災都市における建築物の制限に関する件(昭和二一年勅令第三八九号)および同施行細則(昭和二一年東京都令第八三号)が適用され、昭和二五年に建築基準法が施行されてからは、同法も適用されている。右勅令および施行細則によれば、本件のように都市計画道路境域内で事業未定の場合には、建築可能な建物は一棟の建築面積一〇〇平方メートル以下と定められていた。したがつて、原告主張(第二の一)の建物は、右制限をこえたため許可を受けることができなかつたものと思われる。そして、前記勅令施行当時および昭和二五年建築基準法施行以後においても、法令上許容される範囲の建物を建築することは可能であつたのであるから、原告が本件土地を更地にしておいたことは原告の任意な行為によるものというべきであり、建築制限に基づく建築不許可処分の結果であるとは即断できない。
また、原告は、本件建築制限のため寝具等の小売営業上著しい打撃を受け、廃転業を余儀なくされたと主張するが、その業種の一般的性格からみて、歩道敷から九メートル後退して店舗を構えたことが、その原因であるとはとうてい考えられない。
2 補償の法律上の根拠について
ところで、現行法制上、本件の場合のように特定の公益事業のために、事業に対して局外の地位にある財産に対し公法上の制限を加え、その目的物につき一定の作為、不作為、受忍の義務を負わしめる場合があるが、これらはいずれも財産権に内在する社会的拘束に基づくものであり、これによる損失については、例外として補償規定のある場合を除き、補償を供しないのを通例とするのであつて、本件の場合もその例外ではない。すなわち、憲法第二九条は、財産権が、その社会的機能との関連において国家から認められる相対的な権利にほかならないことを明らかにしているのであり、私有財産権は、一定の社会的拘束のもとにあるものとして、その内容、限界は、公共の福祉に適合するように法律で定められているのである。したがつて、権利行使の自由が制限されたとしても、財産権に内在する社会的拘束に基づくものであるかぎり、必ずしも損失補償の必要はないのである。なお、都市計画のために建築制限を受けることは、都市計画上の必要として首肯しうるところであり、これをもつて建築主の権利を制限したとはいえない。さらに、権利行使の制限に対して損失補償が義務づけられる場合には、例えば文化財保護法第四五条のごとく明文の規定が設けられているのである。本件の建築制限が、将来の収用を見越した負担であるからといつても、土地収用による損失補償義務は、法律上の義務であるから、これに対して補償を義務づけられる場合には、右のように具体的な法律上の根拠を要するのであり、本件の場合には前記のように公共の福祉に基づく権利行使の制限であるから、損失補償の明文の規定がないかぎり、これに対する補償義務は存しない。
したがつて、本件建築制限のための損失補償の要否は、都市計画法あるいは建築基準法上の補償規定の有無の問題であり、これらに補償規定のない以上、起業者の土地収用法に基づく損失補償の義務は、土地細目公告の時点(補償額については契約または裁決の時点)における土地の状況を基礎として、それと同程度のものを他の場所に再現させるに相当と考えられる補償をすれば足りるのである。
(二) 工作物移転補償について
1 土地が収用もしくは買収された場合には、その土地上に存していた建物は移転を余儀なくされるが、現在の経済事情のもとにおいては、移転建物の従来の使用者が引き続いて移転後の建物を使用する場合においても、使用者が賃借人であれば、移転を機会にあらたに権利金を要求されるとか、あるいは家賃の引き上げを要求されることが多く、これらの事情は、使用者が移転後の建物ではなく、あらたに別の建物を住居として定める場合においても同様である。また、移転建物の使用者にとつては、移転完了までの間またはあらたに建物を定めるまでの間、仮住居もしくは仮店舗を必要とし、このための出費を余儀なくされるのが通常である。ところで、土地収用による損失補償は、土地細目公告時の現況を基礎として、その原状回復に要する費用を填補することを目的とするものであるが、右のとおり、現在の経済事情にあつては、従来の住居または店舗を失うことは使用者にとつては著しい損失であるので、被告においては、後記損失補償要綱等に基づき算出した特別措置以外の補償額をもつては従来と同程度の住居または店舗を確保することが困難であると認められる場合には、移転のための特別措置として、次のような補償をすることにしているのであり、それは土地収用法第八八条を根拠とするものである。
すなわち、被告は、用地の取得に伴う損失補償支払いの基準として、「東京都の用地取得に伴う補償等の基準を定める要綱」および「同実施細目」(いずれも昭和三六年四月一日から施行。ただし、その後国により「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱(昭和三七年六月二九日閣議決定)が制定されたので、右「要綱」および「実施細目」を廃止し、従来の規定を整備して昭和三八年一〇月にあらたに「東京都の事業の施行に伴う損失補償基準」および「同実施細目」を制定した。)を定めていたので、被告が土地収用法に基づく損失補償をなすに際しても、右の要綱、実施細目に基づいて補償を行なつていたのであるが、右要綱第三六条は次のように規定していた。
(移転のための特別措置)
「建物の移転により、建物の使用者が、その住居または店舗を失う場合において、第八条(土地価格)第九条(借地権の補償)、第一二条から第一四条まで(残地の補償等)、第一九条から第二一条まで(建物、動産の移転補償)、第二五条から第三二条(営業廃止の補償)第三四条(移転補償)および前条(家賃補償)の補償料をもつては、使用者が従前使用していた住居または店舗と同程度の住居または店舗を確保することが困難であると認められるときは、相当と認める額を補償することができる。」
また、右「実施細目」第二二(1)は、右の規定をうけてその処理方針を次のとおり定めていた。
「ア 現在の経済事情にあつては、建物の移転により従来の住居または店舗を失うことは、使用者にとり著しい損失であり、この要綱の関係各条の補償料のみでは従来と同程度の住居または店舗を確保することは困難な場合が多い。この意味で住宅居住または店舗占有という事実に対して、原状回復に必要とする費用相当額(移転先入手に要する諸経費及び借家人または間借人の場合は家賃または間代の差額等を含む。)を補償しようとするものである。したがつて、この補償は、建物移転の工法その他の状況を調査して、その要否を決定するものとする。
イ この補償は、移築工法による移転について行なうものとする。ただし、その他の工法において借家人または間借人が移転を余儀なくされるときは、この補償を行なうことができる。」
したがつて、移転のための特別措置による補償が適用される要件は、
<1> 建物(住宅、店舗)が移転したこと
<2> 移転建物の使用者、占有者であること(移転建物の所有者であるか否かは関係がない。)
<3> 要綱に定めるその他の補償料をもつては、従来と同程度の建物を確保するのが困難であると認められることである。
移転のための特別措置は、右の要件に適合するとき、移転建物所在土地の時価、建物の時価、建物使用坪数(建坪)等に対応して、実施細目第二二(2)算出の基準に定める方式をもつて計算される額を補償するものであるが、これはあくまで補完的な性格のものであり、その内容は、仮住居または移転先入手に要する諸経費(例えば、権利金、敷金、住居選定のための交通費等)、家賃差額等に対する補償である。それゆえ営業補償とはもとよりその性質を異にする(営業補償については右要綱第六条から第三二条までに規定がある。)し、また、工作物移転補償から一定の割合をもつて当然に算定されるものでもない。
2 右に述べたとおり、移転のための特別措置による補償は、建物(住宅、店舗)が収用もしくは買収により移転した場合に、その移転建物の使用者(占有者)に対して、建物価格、土地価格、建物使用坪数に対応して計算した額を補償するものであるが、営業の態様によつては、建物(店舗)そのもののほかに、建物(店舗)の周囲の土地をも店舗と同様に常時営業の用に供しているものがある(例えば、ガソリンスタンド営業において、建物(店舗)そのものの前面の土地に計量器等を据えつけ、車を出入りせしめ営業している場合の前面の土地、幼稚園の屋外教場、材木商において建物(店舗)そのものの周囲の土地に材木を置き取引きをしている場合の周囲の土地等)。そこで、これらの営業に対する特別措置の適用については、営業の用に供していた建物(店舗)の周囲の土地をも建物(店舗)と同視して(土地の面積を建物使用坪数に算入して)、実施細目第二二(2)算出の基準に規定する方式により額を計算したうえ、さらに一定率を乗じて算定された額をもつて補償しているのである。いいかえれば、一定種類の営業については、営業の用に供していた土地を要綱第三六条に規定する「建物の移転により」という要件の「建物」(店舗)とみなす取扱いをしているのである。
ところで、右の特別措置による補償について、前述の意味における土地を建物(店舗)とみなす取扱いは、建物(店舗)周囲の土地が収用もしくは買収された場合のすべてについて適用されるのではなく、この取扱いが適用されるには、右に例示したように、社会通念上その土地が建物(店舗)と同視される程度に、常時営業の用に使用占有されていたこと、いいかえれば、建物(店舗)周囲の土地が店舗そのものと同様の機能を営なんでいたことが必要なのである。したがつて、店舗周囲の土地に店舗に付属的な工作物を設置しているにすぎない場合とか、あるいは店舗周囲の土地を間接に営業の用に供している場合には、この土地を店舗とみなす取扱いは適用されないのである。そして、ガソリンスタンド営業は、建物(店舗)の前面の土地にガソリン計量器を据えつけ、そこに車を出入りせしめて給油する業態であるが、この業種にあつては、店舗前面の土地は通常の他の小売店舗における店舗そのものと同様の機能を果していること、また、店舗前面の土地は、ガソリンスタンド営業者が給油業務のために常時使用占有していることは社会通念上明らかであるので、ガソリンスタンドの店舗前面の土地が収用もしくは買収された場合の特別措置による補償については、被告は、前述の意味の土地を店舗とみなす取扱いを適用し、その営業者に対してこの補償をしているのである。
3 本件土地に対する特別措置による補償について
(1) 本件収用以前の港区青山北町五丁目三八番地および同三四番地の平面図略図は、別紙第一図面のとおりであつて、原告はその所有地上に六階建賃貸アパート(その一部を店舗として訴外日本冷蔵に賃貸)および賃貸店舗(給油取扱所ーガソリンスタンド。広和興産に賃貸)を所有し、訴外日本冷蔵に賃貸した店舗の前面の土地には花壇を、広和興産に賃貸した店舗の前面の土地には給油取扱業務用工作物(ガソリン計量器、地下タンク)等を設置していた。
そして、広和興産がガソリンスタンド営業のため原告から賃借または使用借して使用占有していた部分は、右図面中Aの赤線に囲まれた部分であり、本件において道路用地として収用されたのは青線から下の部分である。右広和興産が使用占有していた土地(準店舗部分)のうち、青線から下の部分が道路とされたため、残地盤が新設歩道面より〇・二六ないし〇・五八メートル高くなり、そのままでは車の出入りに支障を生じ、また、給油取扱業務用工作物(地下タンク、計量器等)の移転、改装を余儀なくされた部分は、同図面の赤斜線の部分である。
(2) ところで、原告の場合は、「建物の移転」という要件については、賃貸アパートに関しては移転がなく、ガソリンスタンドについては右のとおり建物(店舗)の前面の土地が店舗と同視される結果、「建物の移転」という要件には該当するが、「移転建物の使用者(占有者)」という要件については、原告はガソリンスタンドの所有者ではあるが、これを広和興産に賃貸しているため、「移転建物の使用者(占有者)」という要件にあたらない。
右の点を詳述すれば、広和興産が原告より賃借していたガソリンスタンドの建物の前面の土地の本件収用以前における平面図は別紙第二図面のとおりであつて、原告主張の工作物の設置個所は赤傍線で示したとおりである。すなわち、原告設置の工作物の大部分は右前面の土地と隣地あるいは既設道路との境界に設置されていたのであり、一方、右前面の土地内には、ガソリン計量器、サインポールおよび水栓が設置されていたのであるが、このことからも明らかなように、右前面の土地には給油のために自動車が常時出入りし、右土地はガソリンスタンドの一部として店舗と同様の機能を営んでいたものである。もし仮に、原告主張のように、右前面の土地を原告がその営業のために常時使用占有していたというのであれば、右土地内に設置されていたガソリン計量器は用をなさず、また、ガソリンスタンドを利用しようとする車は、既設道路から出入りすることに支障をきたし、結局ガソリンスタンドはその機能を失うことになるであろう。また、原告主張のように、右前面の土地に工作物を設置していたから、右土地を営業の用に使用占有していたことになるとか、あるいはガソリンスタンド賃貸業という営業のために右土地を使用占有していたことになるというのも失当である。右前面の土地に関する特別措置による補償の問題は、右土地に工作物を設置していたのは誰か、あるいは右土地の所有者は誰かということではなく、右土地を店舗と同視される程度に現実に営業の用に使用占有していたのは誰かということにかかわるものだからである。
別紙第二図面およびガソリンスタンド営業の実態からも明らかなように右前面の土地はガソリンスタンドの一部であり、右土地を店舗と同視される程度に常時営業の用に使用占有していたのは広和興産であつて原告ではない。したがつて、右土地についての特別措置による補償を原告に支払わなかつた被告の措置は正当である(なお、工作物移転補償と特別措置による補償は、その目的を異にするから、被告において、原告が右前面の土地に工作物を設置していたことを認め、これに対して工作物移転補償をしたことは、特別措置による補償とは関係がない。)。
(3) 他方、広和興産の場合には、「建物の移転」という要件については、前記のとおり店舗の前面の土地も店舗と同視される結果、その要件をみたし、「移転建物の使用者(占有者)」の要件にも該当する。また、収用に起因するガソリンスタンドの改装のため、営業の休止を余儀なくされ、右訴外人に対する営業補償等をもつてしては、従来と同程度の店舗を確保することが困難であると認められたので、前記要件のすべてをみたすのである。すなわち、広和興産が使用占有していた建物(店舗)そのものは、収用区域外に存していたのであるが、給油取扱業務用に使用占有していた店舗の前面の土地は収用区域内にあつて道路に面し、道路より高くなつていたところ、それが道路とされて道路と同じ高さになるため残地の地盤面は新設歩道面より〇・二六ないし〇・五八メートル高くなり、そのままでは車の出入に支障を生じ、また、店舗前面の営業のために使用占有していた土地上に存したガソリン計量器二基、水栓、地下タンク等の業務用工作物も、移転あるいは改装を余儀なくされる等、当該給油取扱所を全面的に改装することが必要となつた。そこで、その営業に使用していた土地についても、その一定率を店舗とみなしてこれを補償することとしたものである。
(4) 訴外日本冷蔵の場合は、別紙第一図面のBの赤線で囲まれた店舗部分を原告から賃借し、この店舗を使用占有していたが、建物(店舗)そのものの移転がなく、また右訴外人は食品の小売を業とし、店舗前面の土地を常時営業の用に供していないので、店舗前面の土地を店舗と同視するという取扱いは適用されない。したがつて、「建物の使用者(占有者)」という要件にはあたるが、「建物(店舗)の移転」という要件にはあたらないので、特別措置が適用されなかつた。
(5) 訴外水田松蔵の場合は、別紙第一図面のCの赤線で囲まれた建物(店舗および住宅)を使用占有していたところ、青線から下の部分の土地を買収されたので、「建物の移転」があり、かつ、同訴外人は右移転建物の「使用者(占有者)」でもあつた。そして、右訴外人に対する土地補償、移転補償等をもつてしては、従来と同程度の建物(店舗および住宅)を確保することが困難であると認められたので、第三の要件にも該当するものとして、特別措置が適用された。
4 以上のとおりであるから、店舗の所有者である原告に対しては特別措置の適用がなく、賃借人である広和興産が特別措置による補償をうけたことは、一見したところ不公平のようであるが、原告に対しては、別紙第一図面のAの赤線で囲まれた部分のうちで青線から下の部分の土地補償および赤斜線の部分についての給油取扱所改修工事補償三五〇万余円ならびに改修のため賃貸できなくなつたための賃貸料補償一〇六万余円その他工作物移転補償等が支払われているのであつて、原告と右訴外人を比較すると、特別措置については、その実情を異にするから適用の有無も異なるけれども、実質的にはなんら不平等な取扱いをしてはいないのである。
(二) 仮設建物移転補償について
1 土地収用に伴う移転費の補償は、起業者が用地を取得するに際し、地上物件があれば、それと同程度のものを他の場所に再現させるに相当と考えられる補償をなすことを要するのであるが、本件の場合には、土地細目公告時に右仮設建物がすでに存在しなかつた(同建物は土地細目公告の時より一年前に撤去された。)のであるから、これに対する移転補償の義務はないものというべきである。なぜなら、収用時に被収用地上に建物が存する場合には、建物所有者は当該建物を移転しなければならない土地収用法上の義務を負担するため、この移転義務に対して、起業者は移転料を補償する義務を負うのであるが、本件の場合には、原告に、収用による建物移転義務が存しないため、それに対応する被告の移転料支払義務も存しないのである。
2 東京都係官小坂実は、昭和三六年七月三〇日ごろまで本件土地上に存在していた仮設建物三棟について、原告社員千葉原から「参考までに、この程度の建物であれば、どの程度の補償があるか。」と質問されたのに対して「五〇〇万円位である。」と応答しただけである。
なお、仮に原告主張のような話合いが成立したとしても、それは土地細目公告以前のものであるから、これをもつて旧土地収用法上の協議が成立したものとすることはできない。本件についての旧土地収用法第四〇条による協議は、昭和三七年一二月二四日に起業者よりその申込みがなされたけれども不成立に終つているのである。
第四証拠関係<省略>
理由
第一訴えの適否についての判断
一 被告を誤つているとの主張について
被告は、本件訴えの正当な被告は東京都知事であるべく、東京都には被告適格がないと主張する。
本件訴えは、旧都市計画法に基づく都市計画事業のために行なわれた土地収用について、東京都収用委員会がした裁決の損失補償額を不服として、その増額を求めるものであるから、同法第一八条第一項および土地収用法第一三三条第二項の規定により、右事業の起業者を被告としなければならない。ところで、この起業者の意義につき、土地収用法第八条第一項は、土地等の収用または使用を必要とする事業を行なう者をいう旨規定しているが、起業者は収用または使用の時期において土地等の所有権または使用権を取得する(同法第一〇一条)とともに、その収用または使用により被収用者の受けた損失を補償すべき義務を負う(同法第六八条)ものであることからすれば、すくなくとも収用または使用の効果を問題とする関係においては、右のような財産的権利義務の帰属主体たりうる者が起業者として予想されているものと解するのが相当である。後に説示するとおり、土地収用法上の損失補償に関する訴訟が、被収用者と起業者との間において具体的な権利義務の存否を争うものであり、かつ、その内容として直接に増額による差額の給付または減額による過払額の返還を請求することも許されるとするならば、権利義務の帰属主体が右訴訟の当事者となるべきことは当然である。
以上のことを旧都市計画法による都市計画事業の場合についてみると、都市計画事業は、原則として、地方公共団体を統轄する行政庁が国の機関としてこれを行ない(同法第五条、同法施行令第一条、地方自治法第一四八条第一、二項、昭和四四年法律第二号による改正前の同法別表第三の一一六)、その費用は、右地方公共団体を統轄する行政庁が事業執行者となる場合には当該地方公共団体がこれを負担するものと定められている(旧都市計画法第六条)。このようないわゆる官営公費事業において、収用により土地等の所有権を取得する者および右収用に対する損失補償義務を負担する者が事業の執行者であるのか、あるいはその費用負担者であるのかについては議論の存するところであるけれども、損失補償金を支払つて土地を収用することは、土地の買入れと同様に経済上の関係に属する事柄であるから、右の権利義務は、事業執行者にではなく、費用負担者たる地方公共団体に帰属するものというべきである。
そうすると、東京都知事を執行者とする本件都市計画事業においては、同知事の統轄する東京都が右権利義務の帰属主体となるわけであるから、さきに述べたところにより土地収用法第一三三条第二項の起業者にあたる者も東京都であるというべきである(同法第一七条第一項第一号参照)。
したがつて、原告が本訴において東京都を被告としたことに誤りはない(なお、東京都収用委員会の本件裁決書には東京都知事が起業者として表示されているが、損失補償の関係では、東京都の代表者としての知事を表示したものとみることができる。)。
二 主位的申立ての適否について
被告は、土地収用法第一三三条の損失補償に関する訴訟が収用委員会の裁決に対する抗告訴訟の実質をもつことを理由として、右訴訟においては、裁決中の補償額の変更を求めることなく、ただちに請求にかかる補償額と裁決の補償額との差額の給付を求めることは許されないと主張する。
たしかに、同条の訴訟は、行政処分である収用委員会の裁決のうち補償額の部分に対する不服を内容とするものであるから、そのかぎりにおいて抗告訴訟の性質を有することは否定できない。
しかしながら、同条第二項の規定するとおり、この訴訟は、処分庁たる収用委員会を被告とせず、被収用者と起業者とが当事者となつて補償額の多寡を争うもので、形式的にはいわゆる当事者訴訟とされている。これは、損失補償の問題が、もつぱら被収用者と起業者の財産的利害に関係あるのみで、公益に関せず、その内容も損失の金銭的評価が中心であるため、この訴訟に公益の代表者としての収用委員会を関与させる必要がなく、むしろ補償額について直接利害関係のある実質上の当事者間でこれを争わせることが適当であるという理由による。この趣旨をさらにふえんすれば、収用に伴う損失補償の関係は、公法上のものであるとはいえ、収用そのものとは異なり、その影響するところが当事者の利害だけにとどまり、格別の公益的配慮を要しないため、本来は当事者間の債権債務の関係として処理しうる性質のものであつて、とくに収用委員会の裁決というような行政処分をもつて第一次的な判断をさせるべき必然の理由はなく、それゆえ、法律が損失補償請求権を認めながらその実現のための手続規定を設けていない場合(例えば水防法第二一条第二項等)には、補償権利者が補償義務者を被告として直接その給付訴訟を提起することも許される筋合のものである。したがつて、損失補償の問題を収用自体と切り離して扱うことはなんら差しつかえないわけであるが、土地収用法は、主として被収用者の補償請求権を手続上確保するという見地から、損失補償に関する事項を収用手続の一環として規定し、補償額の点についてもまず収用委員会の裁決を経させたうえで、これに不服がある場合にはじめて当事者の出訴を許すとともに、その訴訟においては、補償額の多寡に関する紛争の終局的解決をはかるため、補償の相手方当事者を被告として、裁決中の補償額部分のたんなる取消しではなく、当事者の支払うべき具体的補償額を積極的に裁判所が確定するという構造をとつたものと解される。
右のような補償法律関係の特質に徴して考えると、収用委員会の裁決は、全体として一箇の行政処分ではあるけれども、前記の理由から裁決事項のひとつとされたにすぎない補償額に関する部分についてまで、これを本来的な行政処分と同視して、その公定力を強調することは、決して十分な実質的根拠のあることではない。損失補償に関する裁決は、その内容からしても行政権固有の関心に基づく公益的判断としての実質を有せず、権限ある機関によつて取り消されるまではその判断を尊重するという仕組みをとるのでなければ制度上不合理であるというような性質のものでもない点において、一般の行政処分とは大いに異なるところがあり、その通用性を確保しなければならない実質的基盤はほとんど存在しない。
もとより損失補償に関する裁決は当事者間の補償法律関係を確認するものであり、これを争う手続としてこの訴訟が法定されている以上、すくなくともこの訴訟の手続外においては、当然に裁決の内容と異なる補償請求権を主張しうるものではない。しかし、収用に伴う具体的補償請求権は憲法第二九条の規定から直接発生するものであつて、この権利が右裁決により実体的に消長をきたすべきいわれはなく、当事者はまさにこの訴訟において右補償請求権に基づき正当な補償額を確定しようとしているのである。そうであるならば、この訴訟の手続内においては、補償額の確定に関して裁決の効力を制限的に考え、あえて裁決の変更をまつまでもなく、これと異なる額の補償請求権を具体的権利として主張しうるとする解釈も理論上とりえないことではない。裁決が行政処分であるからといつて、つねに一律に一定の効力を認めなければならないわけではなく、補償額を裁決事項とした前記の趣旨にそくして、それに必要な限度でその効力を認めれば足りるのである。
また実際上の点から、この訴訟が提起される各種の場合について考えてみると、事案によつては、起業者が裁決の補償金の払渡前にその減額を請求するときのように、判決で補償額の変更を宣言するだけで目的を達する場合もあるけれども、現実の訴訟においては、被収用者が裁決の補償額の過小を主張してその増額を請求する事例がほとんどであり、また、起業者が裁決の補償額を払渡した後にその過払いであることを主張するという事例も考えられる。
そして、これらの場合に、その当事者の目的が、補償額の観念的な変更自体よりも、その変更の結果の実現ともいうべき増額による差額の給付または減額による過払額の返還(以下たんに差額等の給付という。)を求めることにあることは明白であり、また、右の給付を認めることが紛争の終局的解決にもつとも適切であることはいうまでもない。さらに、当事者としては、右差額等の給付について相手方の任意履行が期待できないため、債務名義を得ておく必要のある場合もありえよう。それにもかかわらず、この訴訟が裁決の補償額の変更のみを目的とするもの(形成訴訟)で、差額等の給付を命ずることはその内容に含まれないとし、右給付を求めるためには、この訴訟の判決の確定を条件とした将来の給付訴訟を併合しなければならないというように解することは、制度のありかたとしてきわめて非実際的であり、この訴訟を当事者訴訟とした意義にそう所以ではない。
このように考えると、収用委員会の裁決のうち補償額に関する部分は、形式上行政処分の一部をなすものであるが、前記のような特殊な性格からしてその効力に変容を受け、この訴訟の手続内においては補償請求権を公権的に確定する効力を有しえず、右裁決と異なる補償請求権をこの訴訟で主張することを妨げないものと解するのが相当である。
そうとすれば、この訴訟の性質についても、右裁決の変更を目的とする形成訴訟と考える必要はなく、むしろ当事者の主眼とするところに従い、端的に、憲法上当然発生する具体的補償請求権を訴訟物として、その確認または差額等の給付を求める訴訟であるとみるべきこととなる。もつとも、この見解によると、増額による差額の給付訴訟と減額による過払額の返還訴訟とが別々に提起された場合に、両判決の内容が矛盾抵触する可能性なしとしないが、この訴訟の出訴期間に制限があることなどからすれば、右の可能性は理論上のものにとどまり、実際上願慮するに足りない。
以上のとおりであるから、被収用者が裁決の補償額が過小であるとして、その増額を主張するときは、裁決の変更を求めるまでもなく、起業者に対して直接その差額の給付を請求することができるものと解すべきである(なお、右給付を求めずに裁決の変更のみを求めてきた場合や、右給付と合わせて裁決の変更を求めてきた場合でも、右変更の請求を補償総額の確認を求める趣旨とみうる余地があり、必らずしもこれを不適法として却下するには及ばない。)。
よつて、本件主位的申立ては適法であり、被告の主張は採用できない。
第二本案についての判断
一 原告の所有していた本件土地が、昭和二一年三月二六日戦災復興院告示第三号に基づく東京都都市計画の街路予定地として、旧都市計画法第一一条、同法施行令第一一条、昭和二一年勅令第三八九号、旧建築基準法第四四条第二項の規定により、原告主張のとおり昭和二三年一月一日から昭和三八年八月三一日(本件土地の収用の日)までの間右各法令所定の建築制限を受けていたこと、昭和三六年一月一三日建設省告示第二六号により東京都市計画街路幹線街路放射街路第四号線築造事業について都市計画事業決定の告示があり、翌三七年六月一二日特定公共事業認定の告示がなされ、次いで同年七月三一日本件土地に対する土地細目の公告を経たうえ、昭和三八年八月一五日東京都収用委員会が本件土地について原告主張のような収用裁決をしたことは、当事者間に争いがない。
二 建築制限による損失の補償について
原告は、前記の建築制限により本件土地の使用収益を妨げられたので、憲法第二九条第三項および土地収用法第六八条または第八八条の規定に基づき、その損失も本件収用による損失として補償されるべきであると主張する。
しかしながら、前記各法令の規定による建築制限は、都市計画が交通、衛生、保安、経済等に関し永久に公共の安寧を維持しまたは福利を増進するための重要施設の計画である(旧都市計画法第一条)ことにかんがみ、都市計画決定または都市計画事業決定により道路その他公共の用途に供されるものとして公共的性質を有するにいたつた土地について、右計画または事業の円滑な遂行に対する障害を防止するために認められた制限であることはいうまでもなくまた、かような土地にあらたに建物を建築しても、事業の実施に伴い除却を要することとなるので、社会的・経済的損失を生ずる結果となることも無視できない。そして、右建築制限によりその土地の利用が制約されることになるけれども、それは以上のような観点から新規の建築を規制するといういわば消極的制限にとどまり、現在の土地利用に対して特別の負担を課するものではないし、しかも、建築の全面的禁止ではなく、法定の許可を得た建物もしくは法令の許容範囲内の建物を建築することは認められていたのである。かような建築制限の目的、その態様、程度等を綜合的に判断すれば、右建築制限は、都市計画または都市計画事業の実施上必要やむをえない公共の福祉のための制限であるということができる。してみると、それによる土地利用の制限は、右土地の所有権に内在する社会的制約に基づくものであつて、土地所有者においてこれを受忍すべきものと解するのが相当であるから、憲法第二九条第三項によつてその損失を補償することは必要でないというべきである。
もつとも、本件においては、前記の争いのない事実から明らかなとおり、本件土地が建築制限を受けていた期間はきわめて長期である。このように都市計画事業の実施が延引されたまま長らく建築制限下におかれている土地所有者の不利益に対しては、なんらかの救済措置を講ずるのが相当であることはもとよりである(現行の新都市計画法は、第五三条ないし第五七条において、都市計画施設等の区域内における建築を制限するとともに、これによつて土地の利用に著しい支障を受ける土地所有者のために土地の買収請求の制度を認めている。)。しかしながら、前記の建築制限の目的、態様、程度等に加え、都市計画として決定した事項を事業として実施するについては、社会情勢の推移等により長期間を要するのもやむをえない場合があることを考慮すると、前記のように本来ならば補償の対象とならない建築制限が、事業の実施の延引により長年継続したからといつて、ただちにその損失を補償すべきことが憲法上要請されるにいたるものとは解しがたく、前記所有者の不利益に対していかなる救済を与えるかは立法の裁量に委ねられているものと解するのが相当である。
その他、原告の主張する本件の特別事情を考慮しても、本件建築制限による損失を補償しないことが憲法第二九条に違反するものとは認められない。
また、本件建築制限は、これに続いて都市計画事業の実施による土地の収用が行なわれることを予定したものではあるけれども、両者はそれぞれ別個の手続であるから、右建築制限による損失をもつて土地の収用により通常生ずる損失であるとはなしがたく、土地収用法第六八条または第八八条によつてその補償を求めることもできない。
なお、原告は、本件建築制限区域内に制限違反の建物を建築した近隣者に対しては建物の移転補償を支払いながら、建築制限を遵守した原告の損失を補償しないのは不公平である旨主張するが、右近隣者に対する補償の当否はともかく、建物の移転に対する損失の補償と建築制限による損失の補償とでは補償の要否について考慮すべき要素を異にするのであるから、本件において原告が建物を建築していたとすればその移転補償を受けえたはずであるというだけで、当然に本件建築制限による損失が補償されるべきであるということにはならない。
よつて、右建築制限による損失の補償を求める原告の主張は失当である。
三 工作物移転補償について
原告は、本件収用の関係人である広和興産に対して特別措置による補償が支払われ、原告にその補償が認められないのは不当であると主張する。
ところで、成立に争いのない乙第二号証の一、二、同第三号証に弁論の全趣旨を合わせると、被告は、昭和三六年四月一日から、用地の取得に伴う損失補償支払いの基準として「東京都の用地取得に伴う補償等の基準を定める要綱」および「同実施細目」を定め、これによつて補償を行なつていたが、右要綱第三六条には、「移転のための特別措置」として被告主張のとおりの規定が設けられていたこと、この特別措置は、現在の経済事情のもとにおいて、土地の収用または買収に伴う建物の移転により従来の住居または店舗を失うことは、その使用者にとつて著しい損失となる(例えば移転先入手のために高額の権利金その他余分な出費を余儀なくされる等)ことが多いので、この点を考慮し、前記要綱の他の関係各条による補償をもつてしては使用者が従来使用していた住居または店舗と同程度の住居または店舗を確保することが困難であると認められる場合に、その使用者に対して原状回復に必要とする費用相当額を一定の割合で補償するものであること、したがつて、この特別措置による補償を受けるためには、<1>建物(住宅または店舗)が移転したこと、<2>移転建物の使用者・占有者であること、<3>前記要綱所定の他の補償をもつてしては従来と同程度の建物を確保することが困難であること、の三つの要件を具備することが必要であるが、<1>の要件に関し、営業の態様によつては、移転する店舗そのもののほかに、店舗の周囲の土地をも店舗と同様に常時営業の用に供しているものがあるので、被告は、従来、右のような店舗の周囲の土地を店舗と同視して特別措置を適用していたこと、そして、ガソリンスタンド営業の場合には、店舗前面の土地にガソリン計量器等を据えつけ、自動車を出入りさせて給油する等ガソリンスタンド経営者が常時営業のため右店舗前面の土地を使用占有しているので、特別措置の適用においては、右店舗前面の土地を店舗とみなす取扱いが行なわれてきたことが認められ、これに反する証拠はない。
そこで、本件における特別措置の適用についてみると、成立に争いのない甲第三号証、第七号証、第一〇ないし第一三号証、乙第四号証および弁論の全趣旨によれば、原告は、寝具の製造・加工修理および販売、衣料品の製作・加工および販売、不動産の賃貸等を目的とする会社であること、本件収用当時における現地の状況はほぼ別紙第一図面表示のとおりであつて、原告は、本件収用の対象となつた土地(同図面の青線以南の土地)の北側にアパートおよびガソリンスタンド用店舗を所有し、右ガソリンスタンド用店舗の前面の土地にはガソリン計量器、地下タンク等の給油用工作物を設置していたこと、広和興産は右ガソリンスタンド用店舗および工作物を原告から賃借し、ガソリンスタンドを経営していたこと、原告と広和興産との賃貸借契約においては、右ガソリンスタンド用店舗前面の土地のうち本件収用部分は賃貸借の目的物に含まれないものと定めていたが、これは契約のときに右収用部分が将来収用されて道路となることがわかつていたので、その際に支障をきたさないようにするためそうしたまでのことであつて、実際には、右収用部分を利用しなければ道路からガソリンスタンドへの出入りができない関係にあつたところから、右収用部分を含めた店舗前面の土地全体がコンクリートで舗装され、給油等のためにガソリンスタンドに出入りする自動車は必らず右収用部分を通り、あるいはここに駐停車するなどしており、また右収用部分に設置されていた広告柱照明施設、ガソリン計量器等も広和興産が現実にこれを営業に使用していたこと(右車の駐停車および広和興産の工作物使用の事実は原告の認めるところである。)そして、さらにこのように広和興産が右収用部分を使用することに対して原告はなんら異議を述べず、これを黙認していたことが認められる。もつとも、右収用部分には別紙工作物目録中の※印を付した原告所有物件が設置されていたことは当事者間に争いがなく、また、前記証拠によると、ガソリンスタンド用店舗の北側には原告の事務所や原告所有のアパート等があつた関係から、これに出入りする自動車も右収用部分を通行することがあつたことが認められるけれども、右原告所有の工作物はいずれも右収用部分と隣地または既設道路との境界に設置されていたことが前記甲第一二号証および乙第四号証から明らかであつて、これら工作物の設置や前記原告関係の自動車の通行により、右収用部分における広和興産の営業ないし土地使用が影響を受けたりその部分が他の敷地部分と区別されたりしていたものとは認められない。
以上の事実を綜合すれば、前記ガソリンスタンド用店舗前面の収用部分は、契約上賃貸借の目的物には含まれていなかつたものの、実際には、原告の黙示の承認に基づき、広和興産がガソリンスタンド営業のために社会通念上店舗と同視しうる程度に常時これを使用占有していたものとみるのが相当であり、原告がその事業目的である寝具製造等の営業のための土地としてこれを店舗と同視しうる程度に使用占有していたものとは認めることができない。
そうすると、右ガソリンスタンド前面の収用部分については、広和興産が前記特別措置に必要な要件の<2>をみたしているのに対し、原告はその要件を欠くものであるから、原告に右特別措置による補償をしなかつたことはなんら不当ではなく、他に原告において右の補償を請求しうる事由についての主張立証はない。
よつて、右特別措置による補償を求める原告の主張は失当である。
四 仮設建物移転補償について
原告は、その主張の仮設建物三棟について、昭和三六年九月七日ごろ、原被告間に旧土地収用法第四〇条の協議が成立したと主張する。
しかし、成立に争いのない甲第一〇、一一号証の各供述記載をもつてしてもいまだ右協議が成立したものと認めるには足りず、かえつて、成立に争いのない乙第五号証によれば、右主張のころ、本件の補償問題を担当していた被告の職員小坂実が原告方を訪ねた際に、原告の社員千葉原菊雄から右建物につき補償金が支払われる場合の見込額をたずねられたので、三〇〇万円から五〇〇万円程度になるであろうとの個人的意見を述べたことがあるにすぎないことが認められる。したがつて、原被告間に前記協議が成立したことを前提とする原告の主張は採用できない。のみならず、右仮設建物が昭和三六年七月に取りこわされ、本件土地細目の公告当時に存在していなかつたことは当事者間に争いがないから、これが補償の対象とならないことは明らかである。
第三結論
以上の次第で、本件裁決の損失補償額を不当とする原告の主張はすべて理由がない。よつて、原告の主位的請求を失当として棄却することとし(原告の予備的請求は、主位的請求が不適法として却下される場合に備えたものであるから、主位的請求を適法とした本判決においては、右予備的請求の当否について判断する要がない。)、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 高津環 内藤正久 佐藤繁)
(別紙物件目録、工作物目録および第一、第二図面省略)
別紙(一)
(東京都の都市計画と建築制限)
一 東京都の都市計画は、昭和二一年三月二六日戦災復興院告示第三号により決定されたものであるが、この決定により本件街路を含め現在工事が進行中の東京都の放射街路、幹線街路の区域名称等はほとんどすべて定まつていた。
二(一) 右昭和二一年三月二六日以降後記勅令第三八九号の施行された同年八月一五日までの間は旧都市計画法(昭和四三年法律第一〇〇号により廃止されたものをいう。以下同じ第一一条、同法施行令第一一条により計画区域内の土地に建物を新築する等の場合には地方長官(後に都道府県知事と改められた。)の許可を要したのであるが、現実には、計画実施の際には無条件無補償で撤去することを条件に、建築許可をしていたものである。
(二) 昭和二一年八月一五日にいたり戦災都市における建築物の制限に関する勅令第三八九号が施行され、東京都の区の存する区域における都市計画法第一一条の制限は、同施行令第一一条にかかわらずこの勅令による、とされ、右勅令は右都市計画法および同法施行令の特則ということになつたが、右勅令は、その第二条において、都市計画区域における新築、改築又は増築(以下たんに建築という。)の原則的禁止を規定し、その第三条において、地方長官(後に都道府県知事と改められた。)は都市計画上の支障がないと認め、かつ、次の各条件に適合する場合には建築許可をすることができる、とした。そして、その条件とは、「当該建築物の階数が二以下であり、容易に移転又は除却ができる構造を有し、一棟の床面積が一〇〇平方メートル以下であり、かつ建築面積の敷地面積に対する割合が商業地域内においては十分の五以下、その他の区域においては一〇分の三以下であること」である。しかし、現実には右のような条件をみたしていた場合でも、収用のときは無補償で撤去する旨の条件(その他種々の条件が付加されたことが多かつた。)付で建築を許可されていたものがほとんどであつた。右勅令は昭和二三年七月一六日政令第一六六号、同二四年一一月一日政令第三六〇号、同二五年九月四日政令第二八三号、同年一一月一六日政令第三三八号、昭和二七年八月九日政令第三四〇号によりそれぞれ改正され、昭和三〇年三月三一日政令第四七号により同年四月一日(土地区画整理法施行の日)をもつて廃止されたのであるが、右の昭和二四年一一月一日政令第三六〇号による改正(同日施行)により前記勅令は特別都市計画法第五条の土地区画整理の施行地区にのみ適用されることとなり、この時より本件土地に対し右勅令の適用はないことになつたのである。
(三) そこで、昭和二四年一一月一日以降は再び前記旧都市計画法第一一条、同法施行令第一一条の適用をみるにいたり都市計画区域内における建築には知事の許可を要するものとされたが、現実には知事の許可は収用の際無補償で撤去する旨の条件のもとでのみ許されていたのである。なお、他方においては、旧建築基準法(昭和四三年法律第一〇一号による改正前のものをいう。以下同じ。)第三章が都市計画区域内の建築物等に関する法規制をし同法第四四条第二項は、計画通路の区域内においては、同条項の条件をみたさない建築物の建築を絶対的に禁止したが、同条項の条件をみたしていても、なお旧都市計画法施行令の規制を受けるため、結局のところ建築をするには都道府県知事の許可を受けなければならないこととなつているわけである。
別紙(二)
建築制限により原告のこうむつた損害額内訳
期間
損害額
1 昭和二三・一・一~二三・一二・三一
三一、五〇〇円
2 〃二四・一・一~二四・一二・三一
六二、八五〇
3 〃二五・一・一~二五・一二・三一
八四、三一〇
4 〃二六・一・一~二六・一二・三一
一二三、〇〇〇
5 〃二七・一・一~二七・一二・三一
一九四、九五〇
6 〃二八・一・一~二八・一二・三一
三六七、三三〇
7 〃二九・一・一~二九・一二・三一
五〇八、四二〇
8 〃三〇・一・一~三〇・一二・三一
五二二、三三〇
9 〃三一・一・一~三一・一二・三一
六一八、四七〇
10 〃三二・一・一~三二・一二・三一
七三九、〇〇〇
11 〃三三・一・一~三三・一二・三一
八二七、三七〇
12 〃三四・一・一~三四・一二・三一
九四一、四七〇
13 〃三五・一・一~三五・一二・三一
一、三一八、六九〇
14 〃三六・一・一~三六・一二・三一
二、一一九、〇二〇
15 〃三七・一・一~三七・一二・三一
二、五七三、〇九〇
16 〃三八・一・一~三八・八・三一
一、九三三、七八六
合計
一二、九六五、五八六